自分事
たかが運動会、たかが飲み会を、どれだけ「自分事」にするかが、人生が楽しくなるかどうかの分かれ道
これまたはあちゅうさんの本から。
これに気づけたか気づけなかったかで、大分人生は変わるとおもう。
というか、私の人生は変わったかもしれない。
ちょっと大袈裟な表現かもしれないけれど。
人生が変わったというか、やっていることは今までと変わらなかったりもするんだけど、まぁつまりは何事も気の持ちようってことなんだと思う。
ついこの前までは、この予定つまらないかもしれないなぁ〜、無駄足かもなぁ〜、なんていく前からぐだぐだ考えて、本当は楽しみだったはずな予定が嫌になったりしてた。
え、なんで?って感じだけど、私は大体の予定の前にはこう思うことが多かった。
楽しくなかったらどうしよう
なんでこんなこと思うんだろう。
それはきっと、誰かに楽しませてもらおうって受け身でいようとするからなんだと思う。
よくよく考えたら、この考え方ってものすごく横暴だよね。
自分は相手を楽しませようとしてないのに、私のことを楽しませてよねってどこかで思っていたり、楽しい空間っていうのは勝手に出来上がっていくものであって、私は何もしなくてもいいって、思っていたってことなのかなぁと。
楽しいと思うか思わないかって、実はその場がどうこうより、自分が楽しもうと思ってるか思ってないかに依存するってことにようやく気付けるようになってきたの。
だって楽しいか楽しくないかってことを決めるのは誰かじゃなくて、自分の心だからさ。
こんな当たり前のことに気づけずに、私はどれだけの楽しいをつまらないにしてしまっていたんだろう。
もったいないことしたなぁ
だから、人を誘う時は相手を楽しませるんだって思って会うし、誰かに誘ってもらった時は、よーし、楽しむぞー!って思って会う。
自分の心の楽しいをコントロールできれば、何をしてたって楽しい、言わばスター状態でいられる。
そんな簡単にいくかい!ってつっこまれても仕方のない考え方なんだけど、でも、どう考えるかで人生は変わるから。
素敵で無敵な心を手に入れたいね。
「半径5メートルの野望」/はあちゅう